地域ケアを仕事にするために 「持続可能なコミュニティサロン運営の限界と展望」
- 2016/08/04
- 14:59
地域ケアを仕事にするために
「持続可能なコミュニティサロン運営の限界と展望」
「松戸の陸の孤島」比類なき高齢化の団地
高齢者のふれあいサロンアイギスは、千葉県松戸市の梨香台団地の一画にある。梨香台団地は、昭和50年、中高層羊羹型の集合住宅として、住宅都市整備公団(現UR都市再生機構)によって、建設された。
現在、建設総戸数963戸 入居戸数850世帯 高齢化率約60%(町会調べ)という他地域でも例を見ないほどの非常に高齢化率の高い地域である。入居には収入上限があり、高齢者への優遇措置や入居時の連帯保証人が必要ないことから、低所得者層が多く入居している。血縁や近隣とのつながりの薄い立場の人が多く、自己負担分の医療費や介護サービス利用料が払えず、健康で自立した生活の継続が難しい現状等が顕著にみられている。
高度成長期には憧れの郊外型の団地で、核家族が大挙して抽選で入居しにぎわっていたが、その面影も、今はない。そばのバスターミナルは腰ほどある雑草に覆われ、団地内のショッピングセンターは、空き店舗が並び、営業店舗の中に生鮮食品や野菜、日用品を扱う店舗はない。 残っているのは、郵便局と酒屋、介護ステーションと、NPO法人アイギスが経営するサロンだけである。
JR常磐線・松戸駅から団地行きのバスで約40分、1時間に2~3本程度の運行しかない。住民たちは、「松戸の陸の孤島」と、自虐的な表現を使う。
3.11の震災と「NPO法人アイギス」の誕生
この梨香台団地は、3.11の震災時に、高齢化率の高い高層住宅の危険性が顕著になった。エレベーターが止まると、上階に住む体力のない高齢者は避難する事ができず、地震で古い建物がゆがみ玄関ドアが開かなくなり、こじ開ける力がなく閉じ込められるという状況が起こった。また、近隣関係が薄いと誰がどこに住んでいるか分からず、救援する事も出来ないということが分かった。さらに町会等で保管していた非常食等も重い箱詰めのため、高齢者では持ち出すこともできず、役に立たないものであった。炊き出しをしようにも、団地内のショッピングセンターは空き店舗が並び、営業店舗の中にも生鮮食品や野菜、日用品はない。集会所に集まった居住者は、互いに持ち寄った食糧で空腹を凌いだ。結局、最上階の入居者は余震の恐怖で、1カ月近く、集会所で自炊したのだ。そこには、高齢者だけでなく、乳児もいたという。住民は、この経験から、いざという時、自分たちで支え合うことのできる地域サロンを開く決意をした。平均年齢は77 歳、「女神の盾」を自称する「NPO法人アイギス」の誕生である。
必要に迫られた人の行動は早い。2011年10月に、サロンを仮オープンし、2012年の春、NPO法人格を取得した。
心の拠り所として
「アイギスサロン」はこの5年間で目覚ましく発展した。生鮮食品や生活雑貨の販売、簡単な飲食やカラオケやおしゃべりが楽しめるサロンの機能を併せ持つことができるようになった。既に、梨香台団地の人々の心の拠り所になっている。
実際に、こんな事例がある。
事例1) ときおり見かける高齢の女性がサロンの開店前から入口に立っているので招き入れたところ、痩せた様子や食事の認識がないことにスタッフが気付いた。住まいを聞きだし、夫に連絡したところ、夫も介護疲れと軽い認知症の傾向が見えた。自宅は、ゴミ屋敷の状態だった。近隣のヘルパーステーションに連絡し、地域包括支援センターから支援を受けた。
事例2) 認知症の独居の高齢者(男性)が、現役時代に通勤していた都内に出かけ、自分の居場所や来た目的など混乱状況になり、サロンに電話してきた。スタッフが本人の話を聞きとりながら、交番にたどり着かせ、無事帰宅させた。
これらの事例から、NPO法人アイギスのサロンを高齢者が心の支えにして頼っている姿が見える。見守り体制の拠点としての機能を果たしているのだ。
アイギスサロンが、意図と目的のある場で、偶然に出会って交流することの頻度が上がれば、人と人の関係性が安定し互いに支え合うことができることを実証している。
システムが機能し継続するために
「高齢者の社会的孤立の防止に関する調査報告書」(公益財団法人 東京市町村自治調査会)では、社会的孤立防止施策推進に関して今後自治体が持つべき基本的視点として、(1)地域における社会的孤立防止システムの構築
(2)互助関係・相互支援(自治力)の育成と活用
(3)地域資源の発掘・確認と関係者の参集・課題共有 以上の3点を挙げている。
また、住民組織の自主的な取り組みへの支援としては、
(1)地域のリーダーとなる人材の育成
(2)住民組織からの情報を吸い上げ の2点を挙げている。
この調査報告書からも読み取れるが、自治体としてはシステムの構築を推進していくための大枠やスキームを作り、予算をつけて行くことはできるが、人がどう動き何をもたらすかは介入できないのである。生きた人が繋がるところは、流動的で偶然的な要素が大きいからだ。
目的が共有できる流動的偶然的事象が頻繁に起こると、人々は繋がり始め、活発に動きコミュニケーションを取り始める。地域の中で、置き去りにされがちな人々の見守り体制は、このきっかけとなる事象がないと継続しない。この事業を起こす契機が、梨香台団地では、アイギスサロンという形になった。サロンは、見守り体制を継続的なものとし、仕組みを機能させる仕掛けとなっている。
この仕掛けを持続させるためには、サロン運営の継続性が重要である。
高齢者が自身の手で収益事業に取り組む事例は、全国的にも数多くあるが、アイギスサロンは中でもうまく運営されている事例と言えるだろう。経営のポイントは、収益事業と助成金を組み合わせ方である。初動の立ち上げに自治体から補助を受けたが、その後は、全くの独自経営である。アイギスの理事たちは、法人経営者として資金調達能力と人の管理に優れていた。経営者として、市民活動にありがちな生半可な理想論に振り回されることはなかった。連携すべき相手を冷静に選択し、必要な人材を活用した。5年近く経った今、食品の販売や配達は定常業務となり、スタッフは働きが収入となることに喜びを感じている。
福祉分野の仕事に必要なこと
この事例をコミュニティビジネスの成功事例と考えるのは早計だ。そもそも、わたしたちは、いったい、いくつのコミュニティビジネスの成功事例を見せられたことだろう。
それらの成功事例の永続性はどのくらいあったのだろうか?
私たちは、自治体の補助金が出ている時だけの華々しい成功事例に、魅力を感じることはなくなっているはずだ。そんな束の間の一過性の賑わいが通り過ぎた後の悲惨さを知っているからだ。もう自分たちの住む町の大切なものを、行政や民間資本の一過性のお金に食いつぶされるようなことはしたくない。
とはいえ、マーケティングの視点から、ビジネスモデルが成り立ちにくい福祉分野の仕事が、安定した職業になることも簡単な話ではない。現実の現場の過酷さは、理想や思いだけでは乗り越えられない。それに応じた収入や社会的な地位が必要だ。
自ずから(おのずから)成る
私たちは、「地域資源や人を活用して」と、簡単に言う。課題を乗り越えなくてはならない必然を持った人しか、地域資源や人に巡り合うことはできない。地域で成り立つ仕事や職業は、それを必要とする人のやむを得ない必然から生まれてくる。自ら(みずから)選ぶのではなく、自ずから(おのずから)成るのだと思う。
アイギスは、乗り越えるべき枷を自ら背負って闘いぬき、サロンを成り立たせたている。だからこそ、ここでは、流動的偶然的事象が、必然的に確実に出現し、いかに解決に結び付く道筋にたどり着かせるか、次の課題を私たちに投げ続けるのである。地域ケアを継続した仕事として成り立たせるのは、そこに住む人が生きるための生業として自覚した時だけだ。
問われ続ける課題
私が、最初に出会った福祉領域の専門職は、メディカル・ソーシャル・ワーカーだった。日本でおそらく、第一号。広島原爆病院に配属された被爆者の女性だった。そのとき、私は、社会福祉が、奉仕活動ではなく職業になることを知った。地域福祉が職業となることで、社会的弱者をソーシャルシステムとして救済でき、社会基盤のインフラとなることを知った。それから、40年以上たったが、いまだに、福祉分野の仕事は、社会の安定的な職業して確立されていない。福祉分野のサービスは、必須の社会基盤となり得ていない。私たちは、いまだに、福祉を仕事として地域の中で生かす方法を、問わなくてはならないのだ。
NPO法人コミュニティ・コーディネーターズ・タンク 代表理事 小山淳子
「持続可能なコミュニティサロン運営の限界と展望」
「松戸の陸の孤島」比類なき高齢化の団地
高齢者のふれあいサロンアイギスは、千葉県松戸市の梨香台団地の一画にある。梨香台団地は、昭和50年、中高層羊羹型の集合住宅として、住宅都市整備公団(現UR都市再生機構)によって、建設された。
現在、建設総戸数963戸 入居戸数850世帯 高齢化率約60%(町会調べ)という他地域でも例を見ないほどの非常に高齢化率の高い地域である。入居には収入上限があり、高齢者への優遇措置や入居時の連帯保証人が必要ないことから、低所得者層が多く入居している。血縁や近隣とのつながりの薄い立場の人が多く、自己負担分の医療費や介護サービス利用料が払えず、健康で自立した生活の継続が難しい現状等が顕著にみられている。
高度成長期には憧れの郊外型の団地で、核家族が大挙して抽選で入居しにぎわっていたが、その面影も、今はない。そばのバスターミナルは腰ほどある雑草に覆われ、団地内のショッピングセンターは、空き店舗が並び、営業店舗の中に生鮮食品や野菜、日用品を扱う店舗はない。 残っているのは、郵便局と酒屋、介護ステーションと、NPO法人アイギスが経営するサロンだけである。
JR常磐線・松戸駅から団地行きのバスで約40分、1時間に2~3本程度の運行しかない。住民たちは、「松戸の陸の孤島」と、自虐的な表現を使う。
3.11の震災と「NPO法人アイギス」の誕生
この梨香台団地は、3.11の震災時に、高齢化率の高い高層住宅の危険性が顕著になった。エレベーターが止まると、上階に住む体力のない高齢者は避難する事ができず、地震で古い建物がゆがみ玄関ドアが開かなくなり、こじ開ける力がなく閉じ込められるという状況が起こった。また、近隣関係が薄いと誰がどこに住んでいるか分からず、救援する事も出来ないということが分かった。さらに町会等で保管していた非常食等も重い箱詰めのため、高齢者では持ち出すこともできず、役に立たないものであった。炊き出しをしようにも、団地内のショッピングセンターは空き店舗が並び、営業店舗の中にも生鮮食品や野菜、日用品はない。集会所に集まった居住者は、互いに持ち寄った食糧で空腹を凌いだ。結局、最上階の入居者は余震の恐怖で、1カ月近く、集会所で自炊したのだ。そこには、高齢者だけでなく、乳児もいたという。住民は、この経験から、いざという時、自分たちで支え合うことのできる地域サロンを開く決意をした。平均年齢は77 歳、「女神の盾」を自称する「NPO法人アイギス」の誕生である。
必要に迫られた人の行動は早い。2011年10月に、サロンを仮オープンし、2012年の春、NPO法人格を取得した。
心の拠り所として
「アイギスサロン」はこの5年間で目覚ましく発展した。生鮮食品や生活雑貨の販売、簡単な飲食やカラオケやおしゃべりが楽しめるサロンの機能を併せ持つことができるようになった。既に、梨香台団地の人々の心の拠り所になっている。
実際に、こんな事例がある。
事例1) ときおり見かける高齢の女性がサロンの開店前から入口に立っているので招き入れたところ、痩せた様子や食事の認識がないことにスタッフが気付いた。住まいを聞きだし、夫に連絡したところ、夫も介護疲れと軽い認知症の傾向が見えた。自宅は、ゴミ屋敷の状態だった。近隣のヘルパーステーションに連絡し、地域包括支援センターから支援を受けた。
事例2) 認知症の独居の高齢者(男性)が、現役時代に通勤していた都内に出かけ、自分の居場所や来た目的など混乱状況になり、サロンに電話してきた。スタッフが本人の話を聞きとりながら、交番にたどり着かせ、無事帰宅させた。
これらの事例から、NPO法人アイギスのサロンを高齢者が心の支えにして頼っている姿が見える。見守り体制の拠点としての機能を果たしているのだ。
アイギスサロンが、意図と目的のある場で、偶然に出会って交流することの頻度が上がれば、人と人の関係性が安定し互いに支え合うことができることを実証している。
システムが機能し継続するために
「高齢者の社会的孤立の防止に関する調査報告書」(公益財団法人 東京市町村自治調査会)では、社会的孤立防止施策推進に関して今後自治体が持つべき基本的視点として、(1)地域における社会的孤立防止システムの構築
(2)互助関係・相互支援(自治力)の育成と活用
(3)地域資源の発掘・確認と関係者の参集・課題共有 以上の3点を挙げている。
また、住民組織の自主的な取り組みへの支援としては、
(1)地域のリーダーとなる人材の育成
(2)住民組織からの情報を吸い上げ の2点を挙げている。
この調査報告書からも読み取れるが、自治体としてはシステムの構築を推進していくための大枠やスキームを作り、予算をつけて行くことはできるが、人がどう動き何をもたらすかは介入できないのである。生きた人が繋がるところは、流動的で偶然的な要素が大きいからだ。
目的が共有できる流動的偶然的事象が頻繁に起こると、人々は繋がり始め、活発に動きコミュニケーションを取り始める。地域の中で、置き去りにされがちな人々の見守り体制は、このきっかけとなる事象がないと継続しない。この事業を起こす契機が、梨香台団地では、アイギスサロンという形になった。サロンは、見守り体制を継続的なものとし、仕組みを機能させる仕掛けとなっている。
この仕掛けを持続させるためには、サロン運営の継続性が重要である。
高齢者が自身の手で収益事業に取り組む事例は、全国的にも数多くあるが、アイギスサロンは中でもうまく運営されている事例と言えるだろう。経営のポイントは、収益事業と助成金を組み合わせ方である。初動の立ち上げに自治体から補助を受けたが、その後は、全くの独自経営である。アイギスの理事たちは、法人経営者として資金調達能力と人の管理に優れていた。経営者として、市民活動にありがちな生半可な理想論に振り回されることはなかった。連携すべき相手を冷静に選択し、必要な人材を活用した。5年近く経った今、食品の販売や配達は定常業務となり、スタッフは働きが収入となることに喜びを感じている。
福祉分野の仕事に必要なこと
この事例をコミュニティビジネスの成功事例と考えるのは早計だ。そもそも、わたしたちは、いったい、いくつのコミュニティビジネスの成功事例を見せられたことだろう。
それらの成功事例の永続性はどのくらいあったのだろうか?
私たちは、自治体の補助金が出ている時だけの華々しい成功事例に、魅力を感じることはなくなっているはずだ。そんな束の間の一過性の賑わいが通り過ぎた後の悲惨さを知っているからだ。もう自分たちの住む町の大切なものを、行政や民間資本の一過性のお金に食いつぶされるようなことはしたくない。
とはいえ、マーケティングの視点から、ビジネスモデルが成り立ちにくい福祉分野の仕事が、安定した職業になることも簡単な話ではない。現実の現場の過酷さは、理想や思いだけでは乗り越えられない。それに応じた収入や社会的な地位が必要だ。
自ずから(おのずから)成る
私たちは、「地域資源や人を活用して」と、簡単に言う。課題を乗り越えなくてはならない必然を持った人しか、地域資源や人に巡り合うことはできない。地域で成り立つ仕事や職業は、それを必要とする人のやむを得ない必然から生まれてくる。自ら(みずから)選ぶのではなく、自ずから(おのずから)成るのだと思う。
アイギスは、乗り越えるべき枷を自ら背負って闘いぬき、サロンを成り立たせたている。だからこそ、ここでは、流動的偶然的事象が、必然的に確実に出現し、いかに解決に結び付く道筋にたどり着かせるか、次の課題を私たちに投げ続けるのである。地域ケアを継続した仕事として成り立たせるのは、そこに住む人が生きるための生業として自覚した時だけだ。
問われ続ける課題
私が、最初に出会った福祉領域の専門職は、メディカル・ソーシャル・ワーカーだった。日本でおそらく、第一号。広島原爆病院に配属された被爆者の女性だった。そのとき、私は、社会福祉が、奉仕活動ではなく職業になることを知った。地域福祉が職業となることで、社会的弱者をソーシャルシステムとして救済でき、社会基盤のインフラとなることを知った。それから、40年以上たったが、いまだに、福祉分野の仕事は、社会の安定的な職業して確立されていない。福祉分野のサービスは、必須の社会基盤となり得ていない。私たちは、いまだに、福祉を仕事として地域の中で生かす方法を、問わなくてはならないのだ。
NPO法人コミュニティ・コーディネーターズ・タンク 代表理事 小山淳子
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