自己肯定感と歴史
- 2016/11/04
- 11:47
<自己肯定感と歴史>
人間関係の多い人は自己肯定感が強いと思う。
安心感とも言えるかもしれないけど、
なんだか大丈夫と思える感じが強いような気がする。
もちろん見せかけの人間関係じゃなくて、
正直な人間関係?と言ったらいいんだろうか。
誰かと自分が関係しているというのは、
その人の存在に意識が伸びているということで、
その伸びている分、意識する世界や空間が広くなる。
世界の広がりをこの瞬間、体感として感じられるのは、
なんだか自分にとっては安心につながっている。
人だけじゃなくて、鳥とか虫とか植物とか、
空とか山とか雲とか、そういうものに意識を伸ばすのも、
世界が自分の中で広がって、
その大きな世界の一部として、
この世界の一員として存在しているんだという感覚が
どこか自分の安心感になっているんだと思う。
そして、最近は歴史についてもそんな風に思うようになった。
自分の生きている時間よりももっと前にいる人たち。
すぐ後ろには親がいて、次におじいちゃんおばあちゃんがいて、
さらにおじいちゃんおばあちゃん、おじいちゃんおばあちゃん、おじいちゃんおばあちゃん。。。。
お世話になった人とかも含めてたら、すごい人数になると思うんだけど、
そういう人たちに意識を伸ばしていくと、
なんかその時間的な広がりとして自分の中に広がっていって、
人類史というか大きな歴史の一部、もしくはその歴史の一番先頭にいるという感覚が、
これは安心感なのか分からないけど、生きている実感をより濃くしてくれる感じがある。
歴史をただの知識でなく、自分の感覚世界の広がりとして関係をつくれるといいなと思います。
そんな風に考えられるきっかけをくれたのは、
先月まで哲学講座をやってくれた谷口先生と、
来月講師をしてくれる月村先生です。
思想する人とお話することで、
自分の中に世界の広がりをつくることができる。
それはきっと「生きること」への何かしらの力になると感じています。
「まちばの哲学」トークイベント
「混迷の現代社会を生き抜く知恵」
~今、語りなおす、時代を生き抜いた思想~ 月村敏行氏を迎えて
詳細 →https://www.facebook.com/events/1259088827477301/
人間関係の多い人は自己肯定感が強いと思う。
安心感とも言えるかもしれないけど、
なんだか大丈夫と思える感じが強いような気がする。
もちろん見せかけの人間関係じゃなくて、
正直な人間関係?と言ったらいいんだろうか。
誰かと自分が関係しているというのは、
その人の存在に意識が伸びているということで、
その伸びている分、意識する世界や空間が広くなる。
世界の広がりをこの瞬間、体感として感じられるのは、
なんだか自分にとっては安心につながっている。
人だけじゃなくて、鳥とか虫とか植物とか、
空とか山とか雲とか、そういうものに意識を伸ばすのも、
世界が自分の中で広がって、
その大きな世界の一部として、
この世界の一員として存在しているんだという感覚が
どこか自分の安心感になっているんだと思う。
そして、最近は歴史についてもそんな風に思うようになった。
自分の生きている時間よりももっと前にいる人たち。
すぐ後ろには親がいて、次におじいちゃんおばあちゃんがいて、
さらにおじいちゃんおばあちゃん、おじいちゃんおばあちゃん、おじいちゃんおばあちゃん。。。。
お世話になった人とかも含めてたら、すごい人数になると思うんだけど、
そういう人たちに意識を伸ばしていくと、
なんかその時間的な広がりとして自分の中に広がっていって、
人類史というか大きな歴史の一部、もしくはその歴史の一番先頭にいるという感覚が、
これは安心感なのか分からないけど、生きている実感をより濃くしてくれる感じがある。
歴史をただの知識でなく、自分の感覚世界の広がりとして関係をつくれるといいなと思います。
そんな風に考えられるきっかけをくれたのは、
先月まで哲学講座をやってくれた谷口先生と、
来月講師をしてくれる月村先生です。
思想する人とお話することで、
自分の中に世界の広がりをつくることができる。
それはきっと「生きること」への何かしらの力になると感じています。
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