「生き抜く」なんて言葉は必要ない<月村敏行トークイベント>
- 2016/11/04
- 12:35
【「生き抜く」なんて言葉は必要ない】
昨日、月村先生にいくつか連絡する必要がありお電話したところ、
お電話の最後に「それと、チラシのコピーを見てびっくりしたんだけど、「生き抜く」なんてのは、今の世の中には通用しない考えなんだよね。そのことについてまた今ちょっと書いてるから、よろしくね」とのことでした。
実は、バタバタと広報をはじめた中で、タイトルのコピーを先生に確認していただかないままスタートしていたため、
チラシをみてはじめてイベントのタイトルを見て、月村先生を慌てさせてしまったそうなのですが、
本日届いた原稿にお手紙もついていて「あなたの”生き抜く”の一語が逆にヒントになってまた沢山のことを「考え」はじめてしまいました」とありました。
”「生き抜く」はヨーロッパ19世紀に、人々が植民地獲得に乗り出したときの言葉です。
インディアンもアボリジニも駆逐し、アラビア・アフリカ・インド・中国も植民地にしようとし、まさに弱肉強食で「生き抜いた」ヨーロッパなのです。
ダーウィンの生存闘争説・自然選択説はこれを自然論としてなぞっただけで大間違いの考えです。
自然の生物は「生き抜いている」わけではないのです。”
現代社会を見るときに、ひとつは、今の現代、近代というのはヨーロッパ文明の影響を大きく受けているということ、
ヨーロッパを生きた人たちの考えによって構築された社会の中に行き、また私たちもその社会の影響を受けている。
私が今回のイベントに使った「生き抜く」という言葉、その言葉が持つ意味や考えも、
実はヨーロッパ19世紀の生き方から伝わってきているものだった。
その時代、その土地では、そういう生き方、そして生まれてくる考え方として「生き抜く」というものがあったとして、
今の現代社会にその考え方が合致するのかどうか、そもそも自分に合致するのかどうか。
そういうことをいろんな視野で考える必要があるのだろうと思うのですが、
こうやって言われるまでなかなか気づけないものですね。
「影響を受けている」ということに気付くことの難しさ、しかし、それをする必要性を日に日に感じています。
<混迷の現代社会を生き抜く知恵
~今、語りなおす、時代を生き抜いた思想~
"月村敏行"氏を迎えて>
→ https://www.facebook.com/events/1259088827477301/
昨日、月村先生にいくつか連絡する必要がありお電話したところ、
お電話の最後に「それと、チラシのコピーを見てびっくりしたんだけど、「生き抜く」なんてのは、今の世の中には通用しない考えなんだよね。そのことについてまた今ちょっと書いてるから、よろしくね」とのことでした。
実は、バタバタと広報をはじめた中で、タイトルのコピーを先生に確認していただかないままスタートしていたため、
チラシをみてはじめてイベントのタイトルを見て、月村先生を慌てさせてしまったそうなのですが、
本日届いた原稿にお手紙もついていて「あなたの”生き抜く”の一語が逆にヒントになってまた沢山のことを「考え」はじめてしまいました」とありました。
”「生き抜く」はヨーロッパ19世紀に、人々が植民地獲得に乗り出したときの言葉です。
インディアンもアボリジニも駆逐し、アラビア・アフリカ・インド・中国も植民地にしようとし、まさに弱肉強食で「生き抜いた」ヨーロッパなのです。
ダーウィンの生存闘争説・自然選択説はこれを自然論としてなぞっただけで大間違いの考えです。
自然の生物は「生き抜いている」わけではないのです。”
現代社会を見るときに、ひとつは、今の現代、近代というのはヨーロッパ文明の影響を大きく受けているということ、
ヨーロッパを生きた人たちの考えによって構築された社会の中に行き、また私たちもその社会の影響を受けている。
私が今回のイベントに使った「生き抜く」という言葉、その言葉が持つ意味や考えも、
実はヨーロッパ19世紀の生き方から伝わってきているものだった。
その時代、その土地では、そういう生き方、そして生まれてくる考え方として「生き抜く」というものがあったとして、
今の現代社会にその考え方が合致するのかどうか、そもそも自分に合致するのかどうか。
そういうことをいろんな視野で考える必要があるのだろうと思うのですが、
こうやって言われるまでなかなか気づけないものですね。
「影響を受けている」ということに気付くことの難しさ、しかし、それをする必要性を日に日に感じています。
<混迷の現代社会を生き抜く知恵
~今、語りなおす、時代を生き抜いた思想~
"月村敏行"氏を迎えて>
→ https://www.facebook.com/events/1259088827477301/
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