情報社会下で「思想」を考える(3)
- 2016/11/09
- 09:07
13日の月村先生のトークイベントまであと4日!
月村敏行先生のお話「情報社会下で思想を考える(その3)」です。
・これまでのお話はコチラ↓
情報社会下で「思想」を考える(1)
情報社会下で「思想」を考える(2)
今回のお話は、
「メール関係というのは自分と自分の生活のコピーを
他人と交換する関係ではないでしょうか」という言葉が出てきます。
生活のコピーを他人と交換する関係。
文字情報の交換が当たり前となっている現在ですが、
実はそこには実態感覚の薄い、平べったいコミュニケーションしかない。
世の中の何か埋まらない空虚感や閉塞感はそこから生まれてるのでしょうか。
この話は、ヨーロッパ近代の人たちが持つ「視覚」「聴覚」に偏った考え方の影響、
という話が出てきます。
今の世の中を見ていくのにとても興味深い視点です。
ぜひいろんな人に読んでみてもらいたいと思います。(中尾)
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情報社会の特徴としてもう一つ考えておかねばならぬことがあります。それは視聴覚社会だということです。
近代は活字文化、その複製文化として始まりました。活字でコピーして誰でもが本を読めるようになりました。美術品もコピーで皆がみられるようになりました。そして、電話とラジオが現れます。これはレコードで音の再生を伴いました。これも音のコピーです。次には映画とテレビとビデオであり、CDであり、続いたのは現在のスマホまで現れたメール社会で、この流れが個人、個人の生きている日常までも包み込んでしまいました。私はパソコンもメールもやらないから想像ですが、メール関係というのは自分と自分の生活のコピーを他人と交換する関係ではないでしょうか。活字とそのコピーで始まった近代はついに一人、一人、個人、個人のコピー交換にまで達した、ということです。だから、一方ではストーカーが現れることになります。ストーカーとは、始めは有名スターの追っかけのことです。まさに映像(映画のなかの人間)のコピーと実際の人間の区別がつかなくなる時代に入ったのです。むろん、メール時代に入ると、これが個人と個人、男と女のレベルでコピーと実物とが同じになるままのおっかけとなるわけで、それを特別にまたストーカー(stalker)=「しつこく追う人」と呼ぶことになりました。結局、メール社会はメール交換がコピー交換だということを、私たち当事者たちの意識から消すのに成功したのでしょう。
何故、ここまで近代は達してしまったのでしょうか。ヨーロッパ近代が視覚と聴覚だけを限定的に生きる人たちによって担われたからだ、と言うほかありません。視覚と聴覚だけが特別に高等だと信じている人々によって担われたのです。でも、本当は人間は五感を平等に生きています。視聴覚だけでなく、触覚、味覚、嗅覚を生きています。そこに高等だの下等だのという区別はありません。人間はもともと自然を環境として生きる生物ですから自然環境に適応して生きねばなりません。この適応のために五感が生じたのです。むろん、生じたのはそれだけではありません。自然環境は地球という惑星としての宇宙も含めて考えねばなりません。すると、紫外線、宇宙からやってくる放射線、磁力線、電波線なども人間が適応しなければならない外部環境なのです。それに対する身体内部の抵抗細胞は必ず生じているはずなのです。でも、視聴覚偏向のヨーロッパ科学は紫外線に抵抗できるメラニン色素細胞の存在しか考えられませんでした。これも白人が最高、最優等の人種で黄色、褐色、黒色の順で劣等になっていくというまさに視覚的偏向の考えに立ってメラニン細胞を考えていたまでなのです。
でも、今になってヨーロッパ科学は遺伝子のDNA、それを翻訳して色々な生体蛋白質を作らせるRNAを発見しました。すると、人間は16万年位前にアフリカに誕生したことが分かったのです。この人間─ホモ・サピエンスはアフリカを北上して、アラビアからアジアに向い更に北上してベーリング海峡を越えて南北アメリカに向って拡散しました。また少し遅れて北上してヨーロッパをスカンディナヴィア半島まで拡散したのです。遅れたのはどうやらネアンデルタール人が先住していたせいらしいですが、これを退治したのではないでしょうか。ホモ・サピエンスの全ては同じDNAの同一な人間なのです。進化なんか無いのです。北京原人とかジャワ原人とか、またネアンデルタール人とか―ホモ・サピエンスとは別なのです。多分、人間が滅ぼしたのでしょう。だから、今ではホモ・サピエンスのアフリカ単一起源説となりました。すると、黒人とか白人とかの区別は何なのか。それはメラニン色素細胞の有無だけのことです。つまり、アフリカは太陽光線が強烈に照りつけるので紫外線も沢山なのです。そこでホモ・サピエンスは無毛ですから、どうしても皮膚ガンが沢山できます。でも、メラニン細胞は紫外線を吸収するので皮膚ガンになりません。メラニン細胞が多い人間ほど生き延びられるのです。そこでメラニン細胞いっぱいの黒い皮膚の人間だけがアフリカで生きられることになりました。しかし、このホモ・サピエンスがヨーロッパにまで進出してくると、どうなるか。もう北ですから太陽光線は弱くなって紫外線も減少します。すると、男女ともに黒い皮膚より白い皮膚の人間の方を選ぶのですね。選んでどんどん白い人が現れても紫外線が少ないですから皮膚ガンにはならないのです。エスキモー(今ではイヌイットですが)も白い皮膚なのはそのせいです。黄色や褐色の皮膚はそうなる程度の紫外線でメラニン細胞もその程度でガンにならずに生き延びられたまでなのです。
――だから、皮膚が白いと優秀だなどというのはヨーロッパ人のばかげたうぬぼれなのです。今、メール社会になって、人間は皮膚の色に関係なく、ホモ・サピエンスとして皆同じ能力を生きているだけだとはっきりしてしまったでしょう。
けれどもヨーロッパ近代において宗教改革の後、主導する人々が視聴覚偏向だったのを因として活字の使用から始まって現在のメール社会にまで到達してしまったのです。コンピューターもどんどん高度になって殆ど人間の知能を乗り越えたように見えますが、それは視覚と聴覚を基礎にしただけで、人間とはまるで別です。人間の姿に似せて表情も人間のように反応するまでになりましたが、あれには触覚がないのです。つまり人間の全身の皮膚は触覚に埋めつくされているのですが、そんなものとはほど遠いコンピューターロボットが作られただけなのです。このことをヨーロッパ、アメリカのコンピューター学者は気づけません。身体と外界との応接反応器官は視覚と聴覚だけだと考えているからです。彼らは2040年代後半にロボットが人間を追い越すなどとバカ気た空想を本気で語っていますが、日本のコンピューター学者は人間は身体として生きているからその再現なんて出来るはずがない、と言うだけで、人間が生物としてどういう身体を生きているか、ということをまともに考えられないままです。
情報社会と一口に言うとき、何を考えねばならないか――いくつかの重要な事柄を書いてみました。皆さんと一緒に考えてみたいと思います。その上で、「国家」と「宗教」と核=原子力とをどう考えればよいのか──更に皆さんと一緒に考えねばならないのです。
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下記イベントにて、月村先生のお話を聞くことができます。
これからの社会や社会課題、生き方について関心のある方にぜひ来ていただきたいと思っています。
ぜひご参加ください!
●11月13日(日)14時45分~17時00分
~まちばの哲学トークライブ~
「混迷の現代社会を考え生き抜く知恵」月村敏行氏を迎えて
【詳細はコチラ】→http://machibacollege.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
月村敏行先生のお話「情報社会下で思想を考える(その3)」です。
・これまでのお話はコチラ↓
情報社会下で「思想」を考える(1)
情報社会下で「思想」を考える(2)
今回のお話は、
「メール関係というのは自分と自分の生活のコピーを
他人と交換する関係ではないでしょうか」という言葉が出てきます。
生活のコピーを他人と交換する関係。
文字情報の交換が当たり前となっている現在ですが、
実はそこには実態感覚の薄い、平べったいコミュニケーションしかない。
世の中の何か埋まらない空虚感や閉塞感はそこから生まれてるのでしょうか。
この話は、ヨーロッパ近代の人たちが持つ「視覚」「聴覚」に偏った考え方の影響、
という話が出てきます。
今の世の中を見ていくのにとても興味深い視点です。
ぜひいろんな人に読んでみてもらいたいと思います。(中尾)
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情報社会の特徴としてもう一つ考えておかねばならぬことがあります。それは視聴覚社会だということです。
近代は活字文化、その複製文化として始まりました。活字でコピーして誰でもが本を読めるようになりました。美術品もコピーで皆がみられるようになりました。そして、電話とラジオが現れます。これはレコードで音の再生を伴いました。これも音のコピーです。次には映画とテレビとビデオであり、CDであり、続いたのは現在のスマホまで現れたメール社会で、この流れが個人、個人の生きている日常までも包み込んでしまいました。私はパソコンもメールもやらないから想像ですが、メール関係というのは自分と自分の生活のコピーを他人と交換する関係ではないでしょうか。活字とそのコピーで始まった近代はついに一人、一人、個人、個人のコピー交換にまで達した、ということです。だから、一方ではストーカーが現れることになります。ストーカーとは、始めは有名スターの追っかけのことです。まさに映像(映画のなかの人間)のコピーと実際の人間の区別がつかなくなる時代に入ったのです。むろん、メール時代に入ると、これが個人と個人、男と女のレベルでコピーと実物とが同じになるままのおっかけとなるわけで、それを特別にまたストーカー(stalker)=「しつこく追う人」と呼ぶことになりました。結局、メール社会はメール交換がコピー交換だということを、私たち当事者たちの意識から消すのに成功したのでしょう。
何故、ここまで近代は達してしまったのでしょうか。ヨーロッパ近代が視覚と聴覚だけを限定的に生きる人たちによって担われたからだ、と言うほかありません。視覚と聴覚だけが特別に高等だと信じている人々によって担われたのです。でも、本当は人間は五感を平等に生きています。視聴覚だけでなく、触覚、味覚、嗅覚を生きています。そこに高等だの下等だのという区別はありません。人間はもともと自然を環境として生きる生物ですから自然環境に適応して生きねばなりません。この適応のために五感が生じたのです。むろん、生じたのはそれだけではありません。自然環境は地球という惑星としての宇宙も含めて考えねばなりません。すると、紫外線、宇宙からやってくる放射線、磁力線、電波線なども人間が適応しなければならない外部環境なのです。それに対する身体内部の抵抗細胞は必ず生じているはずなのです。でも、視聴覚偏向のヨーロッパ科学は紫外線に抵抗できるメラニン色素細胞の存在しか考えられませんでした。これも白人が最高、最優等の人種で黄色、褐色、黒色の順で劣等になっていくというまさに視覚的偏向の考えに立ってメラニン細胞を考えていたまでなのです。
でも、今になってヨーロッパ科学は遺伝子のDNA、それを翻訳して色々な生体蛋白質を作らせるRNAを発見しました。すると、人間は16万年位前にアフリカに誕生したことが分かったのです。この人間─ホモ・サピエンスはアフリカを北上して、アラビアからアジアに向い更に北上してベーリング海峡を越えて南北アメリカに向って拡散しました。また少し遅れて北上してヨーロッパをスカンディナヴィア半島まで拡散したのです。遅れたのはどうやらネアンデルタール人が先住していたせいらしいですが、これを退治したのではないでしょうか。ホモ・サピエンスの全ては同じDNAの同一な人間なのです。進化なんか無いのです。北京原人とかジャワ原人とか、またネアンデルタール人とか―ホモ・サピエンスとは別なのです。多分、人間が滅ぼしたのでしょう。だから、今ではホモ・サピエンスのアフリカ単一起源説となりました。すると、黒人とか白人とかの区別は何なのか。それはメラニン色素細胞の有無だけのことです。つまり、アフリカは太陽光線が強烈に照りつけるので紫外線も沢山なのです。そこでホモ・サピエンスは無毛ですから、どうしても皮膚ガンが沢山できます。でも、メラニン細胞は紫外線を吸収するので皮膚ガンになりません。メラニン細胞が多い人間ほど生き延びられるのです。そこでメラニン細胞いっぱいの黒い皮膚の人間だけがアフリカで生きられることになりました。しかし、このホモ・サピエンスがヨーロッパにまで進出してくると、どうなるか。もう北ですから太陽光線は弱くなって紫外線も減少します。すると、男女ともに黒い皮膚より白い皮膚の人間の方を選ぶのですね。選んでどんどん白い人が現れても紫外線が少ないですから皮膚ガンにはならないのです。エスキモー(今ではイヌイットですが)も白い皮膚なのはそのせいです。黄色や褐色の皮膚はそうなる程度の紫外線でメラニン細胞もその程度でガンにならずに生き延びられたまでなのです。
――だから、皮膚が白いと優秀だなどというのはヨーロッパ人のばかげたうぬぼれなのです。今、メール社会になって、人間は皮膚の色に関係なく、ホモ・サピエンスとして皆同じ能力を生きているだけだとはっきりしてしまったでしょう。
けれどもヨーロッパ近代において宗教改革の後、主導する人々が視聴覚偏向だったのを因として活字の使用から始まって現在のメール社会にまで到達してしまったのです。コンピューターもどんどん高度になって殆ど人間の知能を乗り越えたように見えますが、それは視覚と聴覚を基礎にしただけで、人間とはまるで別です。人間の姿に似せて表情も人間のように反応するまでになりましたが、あれには触覚がないのです。つまり人間の全身の皮膚は触覚に埋めつくされているのですが、そんなものとはほど遠いコンピューターロボットが作られただけなのです。このことをヨーロッパ、アメリカのコンピューター学者は気づけません。身体と外界との応接反応器官は視覚と聴覚だけだと考えているからです。彼らは2040年代後半にロボットが人間を追い越すなどとバカ気た空想を本気で語っていますが、日本のコンピューター学者は人間は身体として生きているからその再現なんて出来るはずがない、と言うだけで、人間が生物としてどういう身体を生きているか、ということをまともに考えられないままです。
情報社会と一口に言うとき、何を考えねばならないか――いくつかの重要な事柄を書いてみました。皆さんと一緒に考えてみたいと思います。その上で、「国家」と「宗教」と核=原子力とをどう考えればよいのか──更に皆さんと一緒に考えねばならないのです。
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下記イベントにて、月村先生のお話を聞くことができます。
これからの社会や社会課題、生き方について関心のある方にぜひ来ていただきたいと思っています。
ぜひご参加ください!
●11月13日(日)14時45分~17時00分
~まちばの哲学トークライブ~
「混迷の現代社会を考え生き抜く知恵」月村敏行氏を迎えて
【詳細はコチラ】→http://machibacollege.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
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