松戸アートラインプロジェクトに関わる損害賠償等請求事件
- 2014/06/28
- 21:51
松戸アートラインプロジェクトに関わる損害賠償等請求事件について、
昨日、松戸地方裁判所で、第1審は結審した。
判決は
争点となっていた「学生雇用」や「根本壁画事業」については、CoCoTの主張は全て認められた。
この2点に関して言えば、そもそも、動かしようのない事実がはっきりと露呈しただけである。
松戸市は、自分たちに都合の悪いことを隠蔽して、CoCoTに責任転嫁したのだ。
当然のことである。
しかし、過失の責任は 3対7で、損害賠償金額は松戸市「3割」、CoCoT「7割」だった。
千葉日報 記事 ↓
http://www.chibanippo.co.jp/news/local/200801
今回の裁判結果で非常に驚いたのは、
「雇用創出に必要なスキルを身に付けさせるための人材育成の面においては
『目的に沿う研修は行われなかった』『育成事業の目的からは大きく逸脱したもの』と、
裁判所が言い切ったところである。
私たちは、人材育成事業に関しては、評価を受けてきた自負がある。
松戸アートラインプロジェクト2010こそ、
今の松戸市のアートラインプロジェクト政策の原点であり、
ここから人材が輩出され、現在も様々な形でアートプロジェクトを担っている。
いわきのアートプロジェクトにも大きな影響を与えている。
松戸アートラインプロジェクト↓
http://matsudo-artline.com/2010/
裁判所は、そういった成果は一切評価せず、
「研修は行われなかった」と言い切ったのである。
人材育成は、即効性のあるものでない。
育成とは、生きた人の思考の質的変化や行動様式の変化を促して、
実態を創り出していくプロセスを作るものだ。
自治体や裁判所は、講座への出席や資格取得など、
明らかに目に見える形式が実態で「人材育成事業」だという。
事業形式が整っていれば、
ホントに人が育つかどうかは、問題ではないのだ。
見えない質的な変化は、成果としては評価されないのだ。
そうか・・・
人の能力を学歴で判断する社会。
キャリアを資格で判断する社会。
この価値基準に、私たちは根底から乗っていなかったのだ。
CoCoTの「コミュニティコーディネーター」育成は
現代社会の成果主義を、真っ向から問い直していくこと作業でもあったのだ。
今更ながら、気づいた。。。
この裁判を通じて、
私たちは、人材育成とは何か、「人が育つ」ということをどのように受け止める社会を作るのか、
多くの人々に問いかけていく仕事を与えられた。
CoCoTの道は、この試練の中で、収斂していく。
昨日、松戸地方裁判所で、第1審は結審した。
判決は
争点となっていた「学生雇用」や「根本壁画事業」については、CoCoTの主張は全て認められた。
この2点に関して言えば、そもそも、動かしようのない事実がはっきりと露呈しただけである。
松戸市は、自分たちに都合の悪いことを隠蔽して、CoCoTに責任転嫁したのだ。
当然のことである。
しかし、過失の責任は 3対7で、損害賠償金額は松戸市「3割」、CoCoT「7割」だった。
千葉日報 記事 ↓
http://www.chibanippo.co.jp/news/local/200801
今回の裁判結果で非常に驚いたのは、
「雇用創出に必要なスキルを身に付けさせるための人材育成の面においては
『目的に沿う研修は行われなかった』『育成事業の目的からは大きく逸脱したもの』と、
裁判所が言い切ったところである。
私たちは、人材育成事業に関しては、評価を受けてきた自負がある。
松戸アートラインプロジェクト2010こそ、
今の松戸市のアートラインプロジェクト政策の原点であり、
ここから人材が輩出され、現在も様々な形でアートプロジェクトを担っている。
いわきのアートプロジェクトにも大きな影響を与えている。
松戸アートラインプロジェクト↓
http://matsudo-artline.com/2010/
裁判所は、そういった成果は一切評価せず、
「研修は行われなかった」と言い切ったのである。
人材育成は、即効性のあるものでない。
育成とは、生きた人の思考の質的変化や行動様式の変化を促して、
実態を創り出していくプロセスを作るものだ。
自治体や裁判所は、講座への出席や資格取得など、
明らかに目に見える形式が実態で「人材育成事業」だという。
事業形式が整っていれば、
ホントに人が育つかどうかは、問題ではないのだ。
見えない質的な変化は、成果としては評価されないのだ。
そうか・・・
人の能力を学歴で判断する社会。
キャリアを資格で判断する社会。
この価値基準に、私たちは根底から乗っていなかったのだ。
CoCoTの「コミュニティコーディネーター」育成は
現代社会の成果主義を、真っ向から問い直していくこと作業でもあったのだ。
今更ながら、気づいた。。。
この裁判を通じて、
私たちは、人材育成とは何か、「人が育つ」ということをどのように受け止める社会を作るのか、
多くの人々に問いかけていく仕事を与えられた。
CoCoTの道は、この試練の中で、収斂していく。
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